読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

クプタの一段階屈折

クプタ(わたし)のリアルな日常です。普段は真面目でクールなサラリーマンをきどっています。が、齢35を過ぎたあたりから、自分が35年間何かをずっと演じてきたことに気づく。だから自分だけの日常の喜びを書き記します。

おじさんは愛嬌

英語はずっと勉強してきているのだが、全然身に付かない。要領悪いのだろう。費やした時間に対する実利が割りにあってないのだ。

さんざんいろんなやり方を試したあげく、楽しみながらやらないと続かないという結論に達し、ここ数年は海外ドラマ映画を観ながら勉強している。

Netflixとhuluに契約して、暇があればコンテンツを観たりしている。そこで問題になるのが、字幕問題だ。要は、1.字幕なし 2英語字幕 3日本語字幕、このどれを選ぶかだ。

1は、どうでもいい作品はまあいいが、肝心なところが聞き取れなかったりして、面白い作品はストレスが溜まる。

2は、字幕を追うので大変目が疲れる。分からない単語が出ると一時停止して調べるので、作品のリズムが崩れる。

3は、日本語字幕に頼りきりになるので、まったく英語の学習にならない。

で、結果的に今は、2にしているのだが、なんともまあ疲れるのだ。

もう作品を楽しんでいる余裕はない。わからぬ単語が出てくるたびに画面を停止して、調べてストックさせるので地獄のようだ。

と、こんなことを書いているが、本題はここからだ。上記のような「ダメなりに頑張ってますよ英語、わたし」という自己顕示欲から抜け出せないのは置いといて、じゃあ、現実に欧米人と仕事で話すとき話すときはどうなのかというと、これが一言で言えば「愛嬌」でなんとかなるのだ。

ときどき話していると、どうしても出てこない単語や言い回しがある。普通ならその代用となる平易な単語が浮かんでくるのだが、それすら出てこない。まったくの空白である。会話がストップするので、相手がよりこちらに集中する。すると余計出てこない。

じゃあ、どうするのかというと、笑うのだ。ああ、英単語が出てきませんよ、フッヘッフ!すみません。という卑屈な笑いを発して、相手の同情を買うのだ。

わたしはこれを卑屈大作戦と呼んでいるのだが、これがまた極めて効果的なのだ。なにせ、おじさんが顔中の毛穴を開いて卑屈に「英語できませぬ」と笑っているのだ。これは怖い。自我の強い外国人と言えど、そこがどうも弱いらしい。そして緩和が生まれる。そこをついて話を交わしていくのだ。
f:id:rmisasa:20160112155948p:image
昔風に言うと、「女は愛嬌」と言われるが(今ならフェミニストにブチ殺されそうだが)、わたしは「おじさんこそが愛嬌」だと思っている。もう年齢がある程度行ったからどうにもならない感を醜い笑顔で強調するのだ。もう中身で勝負しない。スマイルだよ、スマイル、だっておじさんなのだから。