スーパービジネスパーソンエグゼクティブ、クプタ

スーパービジネスパーソン、クプタ(わたし)のプライベートを明かします。スーパービジネスパーソンへと登りつめたクプタ。プライベートの思考法とその内容をご参考までにご教授します。

工事現場の若者とすれ違ったよ

春のうららかな陽気のなか、街を散歩していると、前方から工事休憩中でタバコを吸っている、見る感じいかにも悪そうな若者二人がやってきた。わたしは、これ、いい大人という手前、胸を張って、それに屈しないという不遜な態度で彼らを出迎えた。すれ違っても何も起こらなかった。わたしは、ホッと胸をなでおろすと「勝った」と呟いた。だが心臓はどくどく波打ち、手から汗が止まらなかった。

 学生のときのアルバイトを思い出した。なにを間違ったのか、工事現場の一日バイトに行ってしまった。ここでわたしは現実を突きつけられたのだ。これまでは、比較的勉強も運動もできて、どこに行ってもちやほやされていたのに、ここの、現場では最底辺の人間だった。まず、ここで受け入られるための豪胆さがない。さらに、重い荷物を運ぶための力が圧倒的に無さすぎたのだ。

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わたしはそのとき途中でリタイアした。初の挫折だった。だから、いまこうして工事現場で働いている人とすれ違うときは、せめてもの自分の威厳さを示すのだった。わたしは、何か間違っているだろうか。

 

ありがとうマウス、孤独回避

自分が使っているマウスが壊れたので、交換しようとしたところ在庫を切らしていて、古くて大きいUSBのマウスしかなかった。

 

仕方がないので数日間それで我慢しようと使っていたわけだが、なんともダサい。みんなiPhoneで音楽を聴いているのに、CDウォークマンを使っている気分である。パソコンはコンパクトなのにマウスはバカでかく、それでいてコードも長いものだから、なんとも不恰好。

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周りはみな手元に収まるマウスを使っているのに、なぜにわたしだけこの扱いなのだろう。でもこのマウスはえらく元気だ。久々に生命を与えられて、張り切っている。病院から戻ってきた暴走老人とでもいうのだろうか。ああ、もう制御が効かない。

 

周りの皆もこのマウスに注目している。それが嘲笑だとしてもわたしに注目しているのはありがたい。これをきっかけにわたしに視線を投げかけてくれるのだから。ありがとう。これで今日も孤独を免れそうだ。

ご飯を温めるのにラップ上に水を垂らしたよ

 このあいだ両親、姉家族を含めた家族で料理をすることがあった。そこで、わたしも貴重な戦力として手伝わされた。と言っても、野菜を洗うとか食器を並べるとかその程度なのだが。

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料理も終盤になって、母が作ってきたお赤飯を温めることになった。わたしは手が空いていたので、その役割を仰せつかいお赤飯をお椀によそった。そして、レンジで温めるためそれぞれにラップを掛けた。すると母が、「水分がないから水をその上に少し垂らしたほうがいいかも」と言った。わたしはとっさの注文に動揺しながら頭でゆっくり反芻すると、ラップの上から水を足し始めた。ラップの上に水はたまって、ゴハンには何もかからない。

 

その様子を見て母が唖然として、「ラップの上にかけるわけないじゃない。ラップをとってご飯の上にふりかけるのよ!」と死にそうな声で言った。姪や甥を含めてそのときは一堂に会していて、その痴態をむざんにも晒すことになった。姪も哀れな眼で、気を使ってツッコむことすらしなかった。わたしは即座の判断で切り返そうと思い、「こりゃあ、普段から仕事ができないわ!」と自分なりの冗談を言って笑った。

 

誰も笑わなかった。沈黙。それどころか、わたしは全方位から「こいつ普段から本当仕事できないんだろうな」という視線を浴びた。そんなわけで情けなさから泣きそうになりながら、ラップ一枚一枚を外すのであった。

無印カフェ男一人なのだが

40前になると代謝が落ちて仕方がない。そこで外食先でも健康食に走るのだが、それがエスカレートしたのか、健康にいいものを食べたイコール食後の喜びに変わって来た。もはや美味しかったかどうかが問題ではなくなってきた。

 

すると専ら行くファストフード系といえば、無印カフェ、スープストック東京、サラダバー付きカフェなどが代表的なところ。するとたまにお店のなかに男性一人ということがある。なんだかそれを気にして隅っこの方を陣取るのだがなんとも居心地が悪い。

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そんなときにべつの男性がお店に舞い込んでくれたときの感動といったら言葉にならない。胸襟を開いて温かく出迎えたい。できることなら投げキスを送ってハグをして、「お主のためなら共に戦地に向かうぞ!」とでも言ってやりたくなる。そんなことを頭に浮かべながらサラダやスープをすするわたしは今日も幸せである。

この美しい指を酷使しないために。

月曜日のミーティングになれば、やる気ナッシングである。なんたるこっただるいわあ、なんて不可思議な言葉を使いながら、人の話を華麗にスルーをしていく。

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そして、自分の指の美しさにみとれながら「ああ、ビジネスバックは絶対に手持ちしないぞ!絶対にリュックだ!」と軽やかに宣言する。この細くてしなやかな指を酷使してはならない。たとえ首になっても。と40前のおじさんが心をときめかせているのである。

 

そんななかでもミーティングは続いていて、相変わらず意味のあるようなない話が続いていく。わたしはそんなまどろみのなか、さてリュックはどれにしようか、とネットでノースフェイスのホームページを徘徊するのであった。

人を見下す安心感とは

スーパーで買い物をしていると、レジにて目の前の男性が最安プリンの三つセットだけを購入していた。78円だった。よく見ると男性は身なりがみすぼらしく、ボロボロのスニーカーは上側が外れかけていてペラペラだった。さらにも増して、男性が購入するときに大変恥じた様子をしていた、いや恥じているように見えた。なんとも言えない気持ちになった。

こんなことを書いて何が言いたいかというと、問題はその男性のことではない。この状況を知った瞬間に、わたし自身が上から彼を見たということだった。「ああ、そういうことか」という優位感とでも言うのだろうか、少しバカにしたような気分が身体を巡ったのが紛れもない事実である。

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本当は単純にプリンだけを食べたくて購入したかったのかもしれない。本当はそこまで飢えているわけでもなかったのかもしれない。それでも、わたしはそのようにとらえてしまった。

いい大人なのに、なぜこんなに誰かより優位に立っていることに一抹の安心感を感じてしまうのだろうか。フラットに考える、感じることができなかったのだろうか。その瞬間における自身の貧しさに、落ち込んでしまった。ついさっきのできごとなのに、結局は自分は優しいオトナになりきれなかった、ということ。この思いに打ちのめされる。まあ、それだけのことです。

と、今日は真面目な文章を書いてしまった。

ドイツで自尊心大爆発!

日本で自転車に乗っていると、歩道と車道どちらか迷った挙句、歩道という選択をしたら歩道に人が現れるという不運。歩道が狭いため追い越すことができず、黙って歩行者の後ろをノロノロとついて行く。

 

仕方がない、歩行者優先なのだ。それにしても道が狭すぎる。このとき、わたしはドイツで働いていたときのことを思い出した。フランクフルト近郊で働いていたとき、暇な時間は適当に散歩をしていた。ある夕方あまりにも街を照らす夕日が美しかったので、住まいを飛び出した。大通りに面した公園沿いの道を歩いたのだ。

 

ああ、我はビジネスパーソン、世界で活躍しているのだ。と自画自賛をしながら悦に浸っていた。そんな自分とドイツの美しい街並みが合わさって、わたしはこのまま世界を制覇するのではないかと、この世に生まれ堕ちた自分を祝うところでいったのだ。

 

ところである。そのときそのレッドカーペットを後方から自転車がやってきて、チャリンチャリンとわたしに鳴らすではないか。わたしは、なんたる無礼、このグローバル人間を退かそうとは世界の損失!とばかりに振り返って視線をくれてやった。ここは歩道である!自転車は車道を走るべきと!

 

しかしそこにいたのは自転車に乗った美しい女性であった。表情も至って温和で柔らかい。仕方がない。ここは我が大人の振る舞いとして譲ってやろう。このときばかりは尊大な態度で道を譲ってやったのだ。

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ふん、と思いながら歩いていて、ふと標識を見るとなんとここは自転車道ではないか。歩道はないのである。えっ、じゃあどこを歩けばいいの?と思ったら歩道表示は公園のなかを歩くようになっていた。わたしは自転車道を堂々と歩いていた自分が恥ずかしくて、俯いた。ああ、なんたるビジネスパーソンエグゼクティブ、恥ずかしい。自転車道を偉そうにあるいていたとは。

 

それでもドイツの夕日はわたしを明るく照らしてくれた。だからこそ自尊心大爆発はやめられないのだ。ああ、ありがとう自分。